旅学 ツェルマット② 地域アイデンティティを育む
ツェルマット2回目です。今日は地域アイデンティティ「自分が暮らすツェルマットとはどんな村か、他の村とは何が違うのか、村のことを説明するとしたらどういうキャッチコピーなのか」を早い段階(小中学生)でしっかり身に着けるための教育について書こうと思います。
最近(ここ5、6年)、北海道の各地でも行われるようになった、農家、漁師、ガイド、福祉関係者、アーティスト等の大人が小学校や中学校、高校に行って授業の1コマを使ってお話をする時間。職業教育、人生設計、進路指導として取り組まれているようですね。
でも、ツェルマットでは小中学校でかなりの時間数を割いて、地域の大人(事業者)が学校の授業で地元について様々な角度から講話する授業があります。先生はコーディネーター役(教育者でありながら地域を学ぶ学習の時には子どもと現場のプロを引き合わせる媒体)です。そして招かれる講師役の地域の大人は「名誉ある負担」で協力するというスタンスです。
高校で村を出て都会の学校で学ぶ子供が少なくないため、中学校までにツェルマットについて自信を持って語れる子供たちを育てています。高校でのアイデンティティ教育は遅すぎる!ということでした。
また、地元を学ぶ地質学、気候、植物、食文化も大切ですが、時間を取って更にしっかり教えているのが、この村はどういう産業によって成り立っているか。1次産業、2次産業、3次産業のそれぞれの売上高、納付されている税収を教えています。それによって地域インフラが整えられているのかを小学校低学年から学んでいるのです。
この村にはホテルが120 軒(6800ベッド)、ホリデーアパート1500軒(6500ベッド)で年間宿泊者数は200万泊。リピート率は70%に達しています。レストランもメインの通りを中心にひしめき合うように 108 軒あります。ここに滞在する人の主な目的は、スキーや登山,ハイキング,自転車,国際会議。人口は5,700 人にも関わらず,1 日当たりの滞在人数は 32,000 人で,多くの観光客が 1 週間以上滞在し年間 200万泊していることを子供たちは知っています。そして、3年生になるとまちづくりのためのアルバイトをして、地域を学ぶ機会が用意されていました。
それを裏付けるような出来事が6日間の滞在の中でありました。早朝散歩をしていると、かわいらしい子供たちが登校してきました(私たちのホテルのむかえが小学校でした)可愛いなと思い、ちょっと話しかけると「コンニチワ」と私が日本人だと分かったのか満面の笑みで手を振ります。そして私のカメラを指さし、自分たちを撮影しなさいとゼスチャーと英語で伝えてきました。子供を勝手に写真に撮ることは控えるべきと思っていた私は驚きました。そして本当にいいの?撮影するよと話すと、オーケーと答えました。
この驚きの体験を山田桂一郎さんに話すと、「この村の子供たちは自分の親や周りの大人が観光に関わる仕事についていることが多い。旅行者によって自分たちの暮らしが支えらえていることを知っているから、子供なりのサービスなんだと思いますよ」と教えてくださいました。そして、その数日後ゴンドラに乗るときにも、子供たちが描いたと思われる絵に各国の言語でようこそ!と書かれていました。私が見たのはハングル文字のゴンドラでした。私たちが訪れたときには11か国語の公式パンフとHPがありましたので、その数だけこうしたゴンドラがあるのだろうと推測しました。
歴史では、日本の場合は縄文・弥生時代からスタートしますが、ツェルマットをはじめとしたスイスでは現代史からスタートし、最後が古代という順番だそうです。子供たちは、自分たちの村の経済を最初に学ぶのです。
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今日の最後は、アイデンティティについて簡単に説明します。
自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。本人にまちがいないこと。また、身分証明。出典:大辞泉:小学館
偶然ですが、18歳の時に何度も繰り返し読んだ本が、アイデンティティに関するものでした。『自我同一性―アイデンティティとライフ・サイクル』、エリク・ホーンブルガー・エリクソン著、小此木啓吾訳編、誠信書房、1973年
エリクソン氏( 1902年6月15日 – 1994年5月12日)は、アメリカ合衆国の発達心理学者で、精神分析家。「アイデンティティ」の概念、エリクソンの心理社会的発達理論を提唱し、米国で最も影響力のあった精神分析家の一人とされる。引用:ウィキペディア
エリクソン氏はドイツ生まれですが、北欧系とユダヤ系が混ざった容貌だったそうでドイツ人からもユダヤ人からも差別を受け、さらに父親が誰なのかも知らされずに育ちました。戦火を逃れるために生活拠点を転々とし、最終的にはアメリカへ移住して国籍を取得しました。出自が分からず、二重の差別を受け故郷を離れるなど過酷な生活環境に身を置く中で、自身が常に「自分は何者か」という問いと向き合っていたことが、アイデンティティという概念を生み出す要因になったと考えられています。