文章を書くのが苦にならない理由。小学校時代の作文指導に感謝
文章が上手い方ではありませんが、「書けない…」という経験がありがたいことに全くありません。小学1年生の時から今まで(50年ぐらい)、ペンを持ちパソコンの前に座り、スマホを手にすると、迷わずスラスラ書けるのが私の普通です。こんなことを言うと、文章を書くのが苦手な方にとっては、嫌味な”自慢”を話しているように思われるかもしれません。
何故こんな強気な上から目線なことを、ブログで書こうと思ったかといえば、「どうしたら、文章を苦労なく書けるでしょうか」という問い合わせが、この1か月で30人もの人から寄せられたからです。そのほとんどが10代、20代の若い人たちからの質問でした。お節介かもしれませんが、「文章を苦労しないで書けるようになりたい」と願う方が多いのでは?と考えました。また私には、20代後半~40代前半の、母親ど真ん中世代の友人も多いので、子どもさんへのアドバイスになれば、少しはお役に立てるかな?と思った次第です。
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「きっかけ 小学1年生」
私が作文を書くようになったのは、小学校1年生の4月末ぐらいだったと思います。
現代だと、「贔屓だ」と担任の先生はクラスのお母さんたちにつるしあげられたかもしれません。担任のS先生が、帰りの会の後に8~10人ぐらいの児童を集めました。36人のクラスでしたから、25%ぐらいの子供が集められ、原稿用紙を五枚くらい渡されたように記憶しています。座って説明を受けたか、立ったままだったかは覚えていませんが、「毎日1枚でいいから、何でもいいので思ったことを書いてごらん。次の日に先生が直して返すから」。こんなシンプルなことでした。
最初は全員が張り切って書いてきましたが、1か月ぐらい経つと、男子はI君とK君、女子はSちゃんと私。4人に減りました。3月には、I君とSちゃんと私の3人だけだったような気がします。3人を集めて指導された記憶はありません。先生の机に朝原稿用紙を置いて、昨日出したものをもらうという繰り返しをしていました。
「2年生の時は自主的に」
S先生が転勤してしまい、D先生という美術が得意な先生が担任になりました。
D先生には迷惑な話かもしれませんが、2年生の私は童話を書いて毎日先生に届けていました。どこかで読んだ童話をアレンジしたり、2つぐらいの話を合わせたようなものから、かなり独創的なモノまで書けるようになっていました。今でも笑っちゃうのが「4つの太陽」というものです。残念ながら手元にはありませんが、D先生に「面白いね~」と褒められたのでこのタイトルだけ覚えています。
「3年生の時は感想文や詩を時々書いていた」
振りかえると3年生の時には、外で自転車を乗り回す、バトミントン、バレーボール、釣り(川で)に夢中になっていたので、少し文章を書くことは減っていたかもしれません。D先生が転勤になり、穏やかで社会が得意だったO先生が担任になりました。
毎日書くことはやめましたが、詩を書きだしたような記憶があります。本もよく読んでいたので、すごく面白いものに限って感想文を書いてO先生に読んで頂いていました。
「4~6年は”読書で日本一周”というプロジェクトに夢中になり、時々作文コンクールに出してもらっていました」
1~3年は毎年先生が交代してましたが、4~6年は同じ先生でした。S先生という新しいものにチャレンジするのが好きな多分体育か社会が得意な先生でした。縄文時代の家を萱をとってきて干して皆で作るような体験をさせてくれました。
10ページ1キロという単位で300ページの本を読めば30キロ進むというシステムだったと思うのですが、北海道一周、日本一周を目指して、クラスのみんなで朝の会の前に10分か15分ぐらい集中して読んでいました。クラスにもミニ図書館がありましたが、図書館から借りても、自分の本を読んでもよかったはずです。
そして、S先生は、町や十勝の作文コンクール、読者感想文コンクールにこまめに出してくれました。こうしたコンクールに出すときも、私たちの元の文章を壊すことはしませんでした。赤字を入れることもなく、「先生はもっと◎◎なこと知りたいな。その時けいこはどんな気持ちだった?風の音聞こえなかったか?」といったアドバイスをくれました。
長くなりましたので、明日に続きます。多分明日でこの話は終わりにします。