北海道といえば昆布。その3 越中衆が尽力した羅臼町の開拓
昆布テーマの3回目は、羅臼町と富山県黒部市生地との関係について書きます。
※羅臼町観光振興ビジョン2016(平成28)年と黒部市のHP、四十物(あいもの)昆布さんのHPを参考にさせて頂きました。
江戸時代の物流を支えたのが「北前船」です。寄港地の一つである富山県(越中)から米や酒、醤油、薬を、そして北海道からは昆布やニシン、鮭が運ばれていました。北前船で運ばれた羅臼昆布は、富山~大阪~沖縄、そして中国(清)へとつながりました。「昆布ロード」の起点は、羅臼かもしれませんね。
羅臼町の開拓は、江戸末期の安永年間より始められたと史実にあります。もちろん、アイヌの人たちは既にこの地に暮らしていましたが。明治政府は、北海道開拓を全国に呼びかけました。富山県から5万数千戸が開拓移民として北海道に渡りました。富山県、石川県を中心とした開拓者の増加とともに漁場の開拓が進み、漁業を中心に羅臼は成長して行きます。
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羅臼町民の7割以上が富山県黒部市生地の出身者だと言われています。生地という地域は大変貧しい漁村だったので、出稼ぎを奨励されて北海道に可能性を求めて渡りました。
根室、歯舞群島、色丹島、羅臼町、利尻島などの他人が開拓をしなかった厳しい環境を開拓したのが、生地の人たちだったそうです。
生地出身の人をはじめとした富山県からの開拓者は 厳しい冬の寒さにも負けず、こつこつと粘り強く働くので、その勤勉さと実直さで周りからの信用を得て、農業以外の分野でも次々と成功を収めるようになってたそうです。「越中衆の開拓魂はすごい」と尊敬されていました。
昆布漁は越中衆によって発展したと言われています。移住・漁業出稼者がふるさとに昆布を送ったため、現在でも富山で一番多く消費されるのは羅臼昆布で人気が高いのです。
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昆布の流通網と富山のクスリ売りにも関係が構築されていたのは、6年前に富山に行くまで知りませんでした。
北は青森、南は薩摩まで販路を広げてクスリを売っていた、富山の薬売りさん。その富山のクスリ売りが目をつけたのが、琉球が中国からもたらす漢方薬の原料だったそうです。
琉球は中国から大量の漢方薬の原料を輸入していて、クスリ売りにとって貴重な漢方薬は欲しいものでした。そこで富山のクスリ売りは薩摩を通じて、日本海ルートでもたらされる昆布を代価にし、琉球の漢方薬を入手したと言われています。羅臼昆布が貿易に力を貸していたのですね。